第23回「手づくり紙芝居コンクール」<一般の部 優秀賞>
受けつがれた伝統
紀の川市指定文化財 大国主神社神事
大飯盛物祭(おいもりものまつり)
貴志川高校図書部 作・画
(ナレーター) みことくんとおじいちゃんが散歩をしていると、たくさんの人が作業をしていました。
みことくん:「ねえ、おじいちゃん、みんな何をしているの?」
祖父:「大国主神社(おおくにぬしじんじゃ)の神事、大飯盛物祭(おいもりものまつり)の準備をしているんだよ?」
みことくん:「大飯盛物祭(おいもりものまつり)」
祖父:「そう、たくさんのご飯の大飯(おおめし)、神様や仏様にそなえるもの、盛物(もりもの)で大飯盛物祭(おいもりものまつり)というんだ。昔から続くお祭りだよ。」
みことくん:「え?でも、ぼくはじめてみるよ?」
祖父:「準備が大変だから毎年するのは難しいんだよ。このお祭りにはある伝説があるんだよ。」
「むかしむかし、近くを流れる貴志川の国主淵(くにしぶち)に龍蛇(りゅうじゃ)が、すんでおった。
その龍蛇はたびたび人を殺しており、村人達は毎年生贄(いけにえ)として娘を一人差し出していた。
朝、起きると屋根の棟に、「白い羽の矢」が立っている家の娘が、その年の生贄になると決まっていた。
生贄に選ばれた娘や家族は嘆き、悲しんだ。
(間をとる)
しかし、「村のため、家族のため」と、娘たちは龍蛇の生贄となっていた。
村人達は、何とかしようと考えた。
(間をとる)
ある日、社を建て、娘の代わりに米5俵が入る大桶にご飯を盛り上げ、その大飯を龍蛇に奉納した。
それが祭のはじまりと云われているんだよ。」
しかし、「村のため、家族のため」と、娘たちは龍蛇の生贄となっていた。
村人達は、何とかしようと考えた。
(間をとる)
ある日、社を建て、娘の代わりに米5俵が入る大桶にご飯を盛り上げ、その大飯を龍蛇に奉納した。
それが祭のはじまりと云われているんだよ。」
みことくん:「昔ってどのくらい前?」
祖父:「今から七百年前、後醍醐天皇(ごだいごてんのう)の元応年中(げんのうねんちゅう)(1320年頃)に始まったといわれているよ。」
みことくん:「七百年も前?その時と同じお祭りなの?」
祖父:「そのころは、三本の盛物が作られたそうだよ。江戸時代ぐらいまでは、毎年旧暦の三月三日に行われたが、戦争でできなかったこともあるそうだ。戦後、昭和56年(1981)、平成5年(1993)、平成17年(2005)の四月三日に開催したから、お前が生まれる前だよ。」
みことくん:「生まれる前かあ。 ねえ、「盛物」ってどんな形をしているの?」
祖父:「盛物は餅を米粒として、大きな握り飯に見立てたものだよ。お餅は六千個も作るんだよ。」
みことくん:「六千個も!?」
祖父:「そうだよ。すべて手作業で準備するんだよ。 今度見学してみよう。」
みことくん:「うん」
みことくんとおじいさんは盛物作りの見学にやってきました。
まずは、尼寺山(あまでらやま)から「盛物」のために竹を切り出すところからです。
長さ六mの真竹(まだけ)を使い、竹軸をつくります。
次に、山車(だし)の芯柱(しんばしら)を覆うように、縦に三十二本、横に五本をつけます。
盛物の本体を、高さが約五m、横三m位の大きな電球のように整えて、網(あみ)と薦(こも)をかぶせると下準備が完成します。
盛物の鉢巻(はちまき)部分に飾る大きな注連縄(しめなわ)もみんなでつくります。
全長十二mもの立派な注連縄(しめなわ)を緩まないように全員で力を合わせて締めました。
みことくん:「すごいねえ。あっという間に作っちゃった。」
祖父:「そうだよ。今度は行列が通る参道もきれいにするんだよ。」
祖父:「みこと、中貴志小学校の子ども達が盛物歌の練習をしているよ。」
(音源を流す)
みことくん:「盛物歌?」
祖父:「盛物は台車に載せて歌を歌いながら、町内を大国主神社まで練り歩くんだよ。それが盛物歌だよ。」
みことくん:「小学生も参加するんだ。」
祖父:「そうだよ。お祭りの日、4月3日はみんなで参加しよう。」
みことくん:「うん。」
お餅作りの日、みことくんは、朝早くから家族で参加しました。
重さ六百㎏のお米を使いました。
熱々のお餅を直径七㎝に丸め、竹串をさしました。
また、「沈め餅」というお供えのお餅をつくりました。
みことくん:「お餅、あったかいなあ。でも、本当に六千個も作れるのかな。」
少し不安に思いながらも、夢中になって作ると、完成しました。
いよいよ盛物を仕上げます。
半分に折った三m七十㎝の縄に、竹串に指したお餅五十個を差し込みます。
これを百二十本作りました。
そして、盛物の一番上から一本ずつ丁寧につるします。
力を合わせて縄で締め付けました。
薦(こも)と縄(なわ)で盛物本体を覆います。
可動式の御幣(ごへい)をとりつけ、完成です。
この日は短尺(たんじゃく)とよばれる=屋台舟(やたいぶね)も完成しました。
さて、迎えた4月3日。みんな朝から大忙しです。
大国主神社で例祭をし、貴志川町支所前の出発式が行われました。
零時半「さあ、いくぞ~」
威勢のいいかけ声とともに、出発しました。
獅子舞(ししまい)、太鼓(たいこ)、矛持ち(ほこもち)、御神輿(おみこし)、屋台舟(やたいぶね)、盛物が続きます。
大国主神社まで約一、七キロを「盛物節(もりものぶし)の歌」を歌いながら、約三時間かけて練り歩くのです。
獅子舞(ししまい)が通ります。
獅子舞が人の頭を噛むことで、その人についた邪気(じゃき)を食べてくれます。
悪いことから守ってくれる、ご利益(ごりやく)があります。
行列は八百人にも及び、沿道にも多くの人が見物しています。
御神輿(おみこし)が近づいてきました。
御神輿(おみこし)は激しく振り動かす魂振り(たまふり)とよばれる動きもします。
屋台舟(やたいぶね)が見えてきました。
みことくんや多くの人が書いたお願いの短冊が、高さ2mの大榊につるされています。
一トン以上の盛物が近づいています。
協力して、ゆっくり心をこめて運びます。
行列は、途中で一四一名の稚児(ちご)と合流し、全長百五十m以上にもなりました。
満開の桜の花が咲き誇る中、鳥居が近づいてきました。
大国主神社への最後の坂です。
みんなで息をそろえて登っていきます。
大国主神社(おおくにぬしじんじゃ)に到着しました。
いよいよ、盛物をお供えする神事(しんじ)がはじまります。
「3・2・1」
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薦(こも)が取り外され、約六千個のお餅が現れました。
観客からは大きな歓声と拍手があがり、お祭りの熱気は最高潮に達しました。
お餅の一部は国主淵(くにしぶち)に奉納(ほうのう)されます。
盛物は少しずつ解体されました。
参加者全員にお餅が「運勢餅(うんせいもち)」として配られ、お祭りは幕を下ろしました。
みことくん:「あんなに大きいのが動くってすごいなあ。みんなで力をあわせるのってすごいねえ。いつか、僕も盛物を引く綱を持ってみたいよ。」
祖父:「そうだな。次のお祭りでは、お手伝いして、参加するといいよ。みんなでこのお祭りを伝えていって欲しいな。」
(ナレーター)
こうして、4月3日のお祭りは盛大に終わりました。
「お祭りをつくるのは、人の力です。お祭りは人と人をつなぎ、地域に力をくれます。このお祭りを次の世代につないでいくことを願っています」
地域の実行委員のみなさんとともに、この伝統神事をが続いてくれることを願っています。
国主淵に伝わる民話はまたの機会に・・・。
大飯盛物祭(おいもりものまつり) おしまい。